始まり
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現在、前立腺ガン末期の闘病中です。
自分の体験が誰かの参考になるかも、と思い綴ることにしました。
平成25年の今頃、ちょうど一年ほど前ですが、自分は足の付け根の痛みやお尻の奥の痺れに悩まされていました。
職業は大型トラック運転手、バリバリのガテン系です。
当時、48歳、既婚、子供3人、中高生です。
あまりの痛みで仕事に支障をきたし、仕事を休んで整形外科へ。
坐骨神経痛の判断で痛みが取れたら、徹底的に歩くように言われました。
電気、けん引、温めを行っても痛みが取れずに、無理やりウオーキングをしたりしていました。
あまりに痛みがとれないのでハリ治療にいきましたが、やはり痛みが取れず、接骨院を何軒か回ったりしていました。
近所のある接骨院の先生が「これは、前立腺かもしれない。」といい、泌尿器科の紹介状を書いてくれました。
「前立腺」 初めて聞く言葉ですし、自分の体にそのような器官があることも知りませんでした。
そして、次の日、紹介状を持って、総合病院の受付に出かけました。
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現在、前立腺ガン末期の闘病中です。
自分の体験が誰かの参考になるかも、と思い綴ることにしました。
平成25年の今頃、ちょうど一年ほど前ですが、自分は足の付け根の痛みやお尻の奥の痺れに悩まされていました。
職業は大型トラック運転手、バリバリのガテン系です。
当時、48歳、既婚、子供3人、中高生です。
あまりの痛みで仕事に支障をきたし、仕事を休んで整形外科へ。
坐骨神経痛の判断で痛みが取れたら、徹底的に歩くように言われました。
電気、けん引、温めを行っても痛みが取れずに、無理やりウオーキングをしたりしていました。
あまりに痛みがとれないのでハリ治療にいきましたが、やはり痛みが取れず、接骨院を何軒か回ったりしていました。
近所のある接骨院の先生が「これは、前立腺かもしれない。」といい、泌尿器科の紹介状を書いてくれました。
「前立腺」 初めて聞く言葉ですし、自分の体にそのような器官があることも知りませんでした。
そして、次の日、紹介状を持って、総合病院の受付に出かけました。
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